科学と心霊世界の融合〜ルドルフ・シュタイナー


ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))さんてご存知ですか?

オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者。哲学博士。・・・と、ウイキペディアには載ってます。

ところが、この人のジャンルはものすごく広くて、はじめは科学、自然科学からスタートしながら、芸術、哲学、教育、建築、音楽などの広い分野に渡ってる方です。

日本でも、有名なのは「シュタイナー教育」という独自の教育方針を提唱したことでも知られてますね。

さて、ここでは、シュタイナーさんのスピリチュアルの観点をメインに見ていこうと思います。

では、まず、ざっと生い立ちから。

ルドルフ・シュタイナーは、現在のユーゴスラヴィアにあるクラリエヴェックという街に生まれてます。お父さんは電信技師で、お父さんの仕事の影響からも、科学大好き少年だったようです。

学校の勉強はあんまり好きじゃなかったものの、自分の興味を持った分野には徹底してのめり込んじゃう子供だったようで、科学はもちろん政治、宗教、歴史、そしてピアノ、ヴァイオリンなどの楽器でもその才能を発揮。
(いやはや、その好奇心の広さには驚かされます。。。)

結局、自分が興味を持ったことを独学で学んでるうちに、ウイーン工科大学に合格しちゃった人なんですね〜。


さて、いざ大学に入学してみると、当時の大学では、どのような分野においても「唯物論」がベースになってます。
唯物論ってのは、字で示すとおり「物」の事であって・・・簡単に言ってしまえば・・この世のすべての事は、人の心に至るまで、科学によって証明できるって考え方です。
また、当時の宗教的な考え方としては、もちろんキリスト教がベース。
宗教としてのキリスト教をはずしてしまえば、あとは「唯物論」。・・・当時のヨーロッパは、そういった状況だったようです。

ところが、シュタイナーさんは、ここで当然、納得できないものを抱えてしまいます。

なぜ、彼は納得できなかったのか?・・・その1つの理由として、
彼は子供の頃から、かなり強い「霊能力」「超能力」を持っていたようで、たとえば、物にさわるだけで、その物の元の持ち主やら、どういった経路でここに至ったかまでを知ることができたようです。
つまり、サイコメトリーって呼ばれる能力ですよね。

彼は子供の頃から、この能力の正体について、ずっと解明したかったようです。
ところが、こういった能力について人に話しても、まともに取り合ってくれないし、多くの人は理解しないって事も十分わかっていたようで、ずっと長年に渡って人には言わず、自分一人の胸のうちに収めて独自で研究し続けていたようです。



そんな大学生活の中で、彼のもっとも大きな出会いは、ゲーテ。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goeth)1749年8月28日〜1832年3月22日)はドイツの詩人、劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪。

もちろん、ゲーテさんは18世紀の人で、もうとっくに死んでしまってる人なんで、出会って一緒に意見交換したって事じゃあないですよ。

シュタイナーさんは、ゲーテが自分と同じような考えを持っていた過去の偉人として、まるでとりつかれたかのように、ゲーテの研究に没頭します。

ゲーテと言えば、あの「若きウェルテル」だとか、「ファウスト」を書いた文豪と思ってるだけの人が多いけど...(もちろん、私もその1人でした!)偉大な自然科学の研究者でもあったし、政治家(一国の宰相)でもあったんですね〜。

自然科学の分野では、ダーウィンよりもずっと先駆けて「進化論」を暖めていた人であり、また、光と色を研究して書いた
「色彩論」は、彼の20年にも渡る研究成果です。

ところが、当時、ゲーテは科学者としては認められていません。

その原因は、ゲーテが実験でわかるデータより、人間が受け取る「感覚」にこだわりすぎたからのようです。
そして、これこそが、シュタイナーさんが、自分と似たものを感じ取った部分かもしれませんね。


ゲーテの色彩論は、、
光と色を研究なんですが、ニュートン(1642-1727)のように光線の道すじや角度のデータで色を理解することよりも、人の目が色を見るときどんなふうに見えてどんなふうに感じるのか、人間の体験を中心に観察する事にポイントを置いています。
こういった点が、新しい科学、唯物論に移行してゆく時代には、そぐわない理論だったんでしょうね。
しかし今では、「心理学」分野において、「色彩心理学」、「知覚心理学」という研究分野の先がけとして使われているようですよ。



さて、話をシュタイナーさんに戻しましょう。

彼は、ゲーテの研究に没頭して、20代にして「ゲーテ世界観の認識要綱」を出版して有名になります。
その後、歴史の公演依頼がくるようになり、さらに、彼のスピーチには、カリスマ性があったようで、ますますファンを集め有名になっていきます。

その頃、シュタイナーさんは「ベルリン神智学協会」でニーチェについての講演を行ったのをきっかけに、この協会と深く関わるようになります。
神智学協会というのは、ブラヴァツキー夫人という心霊能力をもつ女性が中心となって作られた団体で、彼らはキリスト教だけでなく東洋の宗教がもつ秘教的な考え方を導入し新しい総合的な宗教体系を目指している集団でした。
当時のヨーロッパでは、かなり有名な団体だったようですよ。
そこで、シュタイナーさん、そこの団体のメンバーになるや、あっというまに、神智学協会のドイツ支部長にもなっちゃうんですが、そのあたりから、だんだん神智学協会の人々とは一線を画すようになっていくんですね〜。

ついに、1911年、神智学協会がキリストの再来とされる救世主を打ち立てて宣伝を始めたのを機に、脱退しちゃいます。
なんだか、時とともに、神智学協会の方針は、ますます違った方向へいってしまったようで、シュタイナーさんは、もう、ついていけない!って状態だったようです。

そこで彼は、自分自身で新たに「人智学協会」Anthroposophieを設立します。
(神智学⇒人智学、日本語だと一文字違うだかなんですが。。。)
その人智学協会の理念とは、

「アントロポゾフィーは認識の道であり、それは人間存在(本性)の霊的なものを、森羅万象の霊的なものへ導こうとするものである。」



ここからは、シュタイナーさんのアントロポゾフィーの中身でもあり、また彼の提唱するスピリチュアルの世界を見ていきましょう。

まず、精神世界を勉強するには、哲学、そして、シュタイナーさんの学生時代では、哲学といえば、まずは、大哲学者のカント
カントは、絶対はずせないし、哲学の分野では一番と思われていた人だったようです。
そういえば、デカルトって哲学者だって、有名ですよね?「我思う、ゆえに我あり」なんて、言葉でも有名な人でしたよね。
そのデカルトは17世紀の人で、カントは18世紀の人。それが、どう違うかって言うと・・・・
18世紀は、ヨーロッパは近代社会まっしぐらの風潮で、ばりばりの唯物論、新しい科学の時代。なので、「我思う、ゆえに我あり」、などと言う・・・甘っちょろい観念的なものは、受けないのだ!
おいおい、哲学を時代の風潮やウケ狙いでやるんか!と思われる方もいらっしゃるでしょうが(笑)・・・・はい、世の中、そんなものでございます。(^m^)
どんな優秀な学者といえども生身の人間、まーーたく受けない研究をして、世間から無視されれば寂しい思いはするし、生活も苦しくなっちゃいますから、学者の、「ウケ狙い」だって、当然アリだと思いますよ〜。
ウケ狙いは、なにも芸人に限ったことではありません。

そこで、カントも、神様とか霊魂とかについては、一切述べなかったという説もあります。ただ、本人が「ウケ狙い」だったのか、本当に興味もなかっただけなのか・・・ホントのとこはわかりません。


ところが、真理を追究したいシュタイナーさんにとっては、もちろん、これは大きな障壁となってきます。
目に見えないものしか信じない、その研究しかしない・・ということは、人間の認識力自体を変えなければ、科学はもう、その先には進めないという事になってしまう。
こりゃ、大変だ!、霊についての研究なんて誰もしない、考えようともしない・・という状況を、なんとか変えていかなければいけない!
なんとか、一般の人々にも理解してもらわなきゃならないぞ、⇒ あ、そうだ! それなら、みんなが霊をみる能力を身につければいいんだ!


こういったコンセプトから、シュタイナーさんは、本を出版しました。
シュタイナー死者の書
そんなわけで、この本はもちろん、「霊を見るという能力を身につけよう!」「霊を聴く感じる能力を身につけよう!」というコンセプトで書かれてます(^m^)。
まるで、最近の「誰でも霊能力者になれる!」「訓練すればあなたも霊能力者」みたいな・・ちょっと怪しげな本みたいですが(笑)、内容はもちろんマジメ、とても科学的視野で、論理的に書かれています。



では、ここから、この本の内容をざっと見ていきましょう。

これによると、霊の世界に接触する方法は、大きく分けて2つあります。

体外離脱・・・肉体から魂を飛ばして入る方法。つまり、一般的には、死んだ状態がまさにこの状態となるわけですね。

自分の内部に没入することで、自分自身から脱して接触する方法
対外離脱が外に出て行くのに対して、これは逆に自分の内なる部分に入っていくという方法なんですね。
しかし、ここで大切な事は記憶力

記憶力の助けを借りて、自分自身の内の中へと接触できるのだ・・と言ってます。
(あ、記憶力と言っても、英単語や数式を丸暗記するような記憶力の事じゃありませんよ。 それは脳で記憶することで、シュタイナーの言う記憶力とは、魂の記憶を蘇らせるってことです。)

つまり、意識下にあるものを思い出すって事ですね。

シュタイナーさんは、アンリ・ルイ・ベルクソンの「物質と記憶」という書物を何度も引き合いに出しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アンリ・ベルクソン
この方は、19世紀後半から20世紀にかけて生きた人で、フランスを代表する哲学者でありノーベル文学賞も受賞している人ですが、なかなか波乱の人生でもあったようですね〜。 しかも、この時代にあって、反カント派。(うーーむ、やはり。。。)

物質と記憶という書物の中で、「記憶は、脳にあるのではなく魂の中にある」と明言されています。
そしてシュタイナーさんもまた、「私たちの記憶像こそが霊的体験の始まり」と言ってます。

「過去の思い出を、潜在意識の奥から引っ張り出しきて表面意識のスクリーンに生き生きと映し出すこと。
そうすると、それはもう、単なる自分が経験した記憶像ではなく、未知なる内容を伴って、いわば記憶の背後から引き上げられてくるものを伴っている。」




ここからは、シュタイナーさんが語っている、死後の世界についてです。

「死後」とは、人が死んでから再び生まれ変わるまでの、輪廻転生の間の時期を意味するものであり、それは、前半と後半に分かれている。
そして、この時期においてもっとも重要な役割をになうのも「記憶」。

●死んで肉体を失った人間が、あの世へと持っていける唯一のもの・・・それは、この世で作った思い出だけ。
それは、まだ心の中に残っていて、生前の「記憶」のみを持って行けるのだそうですよ。
●生きている人間と死んだ人間の違いは、肉体があるかないかの違いであり、肉体があるということは、自分と他人をはっきり区別できる入れ物があるということだ。
たしかに、人間は幼少期から、だんだん自我が芽生えてきて、「これは私で、私は私である。」と、認識するようになりますよね。
●肉体を持ち生き続けるって事は、さらに、人は「私は、私なのだ」という自己意識を発達させることなのだ、また、この世というのは、そのためにあるようなものかもしれない・・・と、シュタイナーさんは言ってます。

つまり、肉体を持ってる人間とは、こういった事なのかなあ?
幼少期⇒自我の芽生え⇒自分を知ろうとする⇒自分らしく生きようとする⇒自分の道をみつけようとする。

●しかし死ぬということは、入れ物がなくなるわけで、偉大なる外界のエネルギー体の中に吸収されざるを得なくなる。
たしかに・・・肉体があるからこそ、「自分」という意識がめばえ、自分と外部との違いを意識したり、そこに学び・成長していく意味があるのかもしれませんね〜。
肉体を持つこと=個性を持つこと。

ところが、肉体がなくなると、その個性も、ふわふわと・・空気中に分散しちゃいそうになるのでしょうか?
しかし、そんな状態でさえ、魂に刻まれた記憶力があればこそ、「それが、私だったのだ。」と、死してなお、個性を保つことができるのだそうです。

●まず、死後に人が最初に経験するのは、人生における全ての記憶を追体験すること。
これは、無くなった肉体を懐かしみ、自分自身の個性を懐かしむ事なのだろうか?せめて自分の思い、想念だけは持っていたい、死してなお、自分でありたい、という切なる願いなんだろうか・・・。

●この世の人生で得た収穫の長い長い再確認。それは、壮大なパノラマとして何日も続く。

やがて、それがおさまると、いよいよ次のステップ、後半へと進む。

●後半に至ると、記憶力はまた別のエネルギーに転化される。
それは、死者の魂の力を目覚めさせ、目覚めた意識として生き続けるためのエネルギー。
ずっと長いパノラマも見ていた死者は、立派な一つの意識へと成長を遂げる。

ちょっとここまでのところで、おさらいしてみましょう。
生きている人は、個性を持って自分らしく生きようとする ⇒死後の前半、生前のすべてを思い出すことで、いまだ個性を保っている。
⇒魂が経験した個性が、目覚めた意識へと成長する。

●成長した意識は、魂から放射される光で、周囲は明るく照らされれ、それは、生命エネルギーとしての、本来の在り様なのだ。

「今、私たちは悟ります。「生前、お前は思考を働かせ、思考内容をお前の中に生じさせた。 しかし、お前がそのようにして妄想に耽り、思考内容を作り出していたとき、 お前はひたすら四大霊(註:地水火風の四元素の精霊)を生み出していたのだ。
それは全宇宙に対して、お前が付加した新しい何かなのだ。
お前によって霊の中へ産み落とされたものが、今ここにこうして生存している。 それは、お前の思考内容の真実の姿なのだ」


一人の人間の生前の経験や思考が、すべて「完成された意識」となり、それは宇宙へと吸収され、新たに宇宙の一部となって生き続ける。
そう思うと・・つくづく、たった一人の人間が生まれてきた大きな意味があるんですねえ〜。
宇宙もまた、シュタイナーさんによると、人間の想念が作り上げているものとも言えるんですね。



ここから、シュタイナーさんの言葉をまた、いくつか抜粋しておきます。

エネルギーについて

●「意識」というものが、人類が生まれるずっと前、この宇宙が出来たときからすでに、エネルギーという形で存在していたのだ。
その「意識」が様々な形に変化し・・人間だったり、その他の動植物、石になっているだけであるとシュタイナーさんは考えているようです。
これは、中国にある陰陽五行説の「気」という考え方と同じようですね。気=エネルギー

●無から有は生じない。今、私たちにある「意識」は、魂の力であり、「エネルギー」でもある。
それを包む肉体は、時が来れば消えてしまうだろう。しかし、意識やエネルギーは消滅することはない。

エネルギーは形を変えることはあっても、消えることがない・・・・たしかに、これは現代物理学でも、私たちも勉強してますよね。。 無から有は生じないのと同様に、有が無になることもない。
人類が生まれる前から宇宙にはエネルギーが充満していた。
それが今、私たちの目にしている事物は、今このときだけ、形ある物質になっているということなんですね〜。

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誰でも持っている超能力開発法

●通常の「人間の認識の限界」を超えて、新しい認識力を獲得しなければならない。
日ごろは眠っているだけで、もともと誰にでも備わっている能力なのだ。。
シュタイナーさんは、古代においては、見霊能力は失われていなかった、と言っています。つまり、古代人は、霊を見ることができた。
●ただしそれは、夢を見ているような、おぼろげなものにすぎなかった。これに対して、現代人が獲得すべき新たな霊視・霊聴は、もっと明晰判明なものでなければならない。

日ごろ、人間は視覚・聴覚を初めとする、強力な五感を働かせて生きています。ところが、人間の感覚・知覚は、もっぱら外界へと向けられちゃっています。
家にいても、外は車の騒音、家の中ではTVの音といったのが、現代ですから。
●そこで、まずは、気持ちを鎮めて、外界からの刺激をシャットアウトすることが前提条件。
静かに瞑想して、外界へと向けられた感覚・知覚を、鎮めなければならない。
そうすれば、今までは見えなかったモノが見えてくるようになるはずだ。

●その上で、内面へと向かう意識の力、魂の力を高めることが重要だ。
  ●まず、強化しなければならない力として挙げられているのは、注意力。
注意力は、日常生活においては片手間に用いられているが、いまや、無限に高められなければならない能力だ。
>注意力が働くときの私たちは、魂の傍ら(かたわら)を流れていく生活を、いつものようにただ傍らを流れていくままにしてはおきません。精神の眼をあれこれの事象に向けます。
そしてそのために、心の内部の力を一点に集めます。ひとつの事象を生活の流れの中から取り出し、それを意識の中心に据え、魂の力をそこに集中します。

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ふと、シュタイナーの本を読んでいて思ったんだけど・・無意識下の意識にアクセスするってのは、まるでユングのシンクロにシティーとも大いに共通しているんじゃないだろうか。
また、瞑想することによって、シャーマンが、空を舞うコンドルに魂をのせて、鷹の目で世界を眺めたりするのも、この力なのかもしれない。
さらに、かつてネイティブインディアンたちのシャーマンになる教えとして、すべてのものを観察する目を養うというのを思い出した。
五感を働かせ、観察力、注意力が、シャーマンへの道だという・・・すべてが、繋がっているのかもしれない。

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