スピノザと古代中国の世界観

バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza, 1632.11.24. - 1677.2.21)はオランダの哲学者、神学者。

アインシュタインさんが「僕の信じる神はスピノザの神だけだ!」と言ってましたが、

.....スピノザの神ってなんでしょう?

まずスピノザさんについて簡単にみていきましょう。


オランダのアムステルダムで裕福なポルトガル系のユダヤ人の商人の家庭に生まれた人でした。

そして当然ながらユダヤ教団の学校で旧約聖書の言語であるヘブライ語と教養を身につけ、

ユダヤ哲学や神秘思想にも関心を寄せて学んでいたようです。

また、自然科学や数学にも関心を示し、デカルトにも影響を受けた人でした。

やがて伝統的なユダヤ教の信仰に疑問を抱くようになり、1656年、24歳の時に、 「悪しき意見と行動」の理由でユダヤ教団からついに破門されちゃいました。

ユダヤ人でありながらユダヤ教団から破門されるということは、安住の地を失うということであり、 彼はその後、ヨーロッパを転々とします。
生涯独身で、質素な生活をし思索と研究の日々を過ごし、 レンズを磨きで生計の足しにして過ごした・・という話は有名です。
スピノザは『エチカ』を執筆し、ハーグの粗末な屋根裏の一室で、 一人の友人の医師に見守られながら、44歳でその孤高の生涯を終えました。

こうやってみると・・本当に、報われることの少ない、なんだか気の毒な人生の人ですねえ。。。



さて、彼の説く神とはどういったものだったのでしょう?

彼は、初め、デカルトに影響を受けていたようですが、 大きく違う点はデカルトが、世界を精神と肉体の二元論で考えたのに対し、彼は一つの「実体」として考えました。
この実体は、ちょうど1枚のコインの裏表のように、一面から見れば「物体」であり、 もう一面から見れば「精神」であり物体と精神の二つではなく、ひとつの「実体」として考えたのです。

そして、この考えを明瞭に表すために、物体として見えるものを実体の「延長」、 精神として見えるものを実体の「思惟」となずけました。
世界に存在するすべてのものは、この実体の延長であり思惟なのです。
(ここらへん、十干十二支の概念とも共通しませんか?)

スピノザの「神」はこの「実体」に他なりません。

そして、神(実体)は、それ自体の本来の法則に従って必然的に生じさせると考えたのです。

従って、自然(世界)は神の一部、あるいは神そのものだと考えたのです。

これを「汎神論(はんしんろん)」 といいます。

「神は超越的な原因ではなく万物の内在的な原因なのである。神とはすなわち自然である。これを一元論・汎神論と呼ぶ。」

(これは、wikipediaからの引用)

自然(世界)は、その実体の本来の法則に従って、必然性をもって生じる。

そして、それぞれの個物は互いに関連して存在や作用を受け、

その作用もまた実体の法則に従って必然的なものである(決定論)と考えました。

これって、まさしく陰陽五行説、老子の思想と繋がるものだと思うんですが・・・
アインシュタインさんは「この世に偶然なんかないんだ!必ず自然の中には法則がある!」 って言ってましたね〜。

不思議ですね。。。古今東西、時代も場所も違い分野も違っても、同じ概念に行きつくんですね。
言い換えれば・・極めれば、行きつくところは皆同じなのかもしれません。

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